早野忠昭 × 吉松育美

2012年に日本人初、かつ、2019年時点で唯一のミス・インターナショナル世界一に輝き、女優やモデルだけでなく、ビジネスや社会貢献活動などでも、世界を舞台に活躍されている吉松育美さん。大学時代にランニングを始め、今でも毎朝走ることが日課になっているといいます。今回の対談では、吉松さんがミス・インターナショナルを志すようになった経緯から、美とランニングの関係性、そして今後の日本でのランニングの広がりについて期待されていることについて、お話を伺いました。

早野忠昭

早野忠昭(はやの ただあき)

1958年生まれ。長崎県出身。一般財団法人東京マラソン財団事業担当局長・東京マラソンレースディレクター、日本陸上競技連盟総務企画委員、国際陸上競技連盟ロードランニングコミッション委員、スポーツ庁スポーツ審議会健康スポーツ部会委員、内閣府保険医療政策市民会議委員。1976年インターハイ男子800m全国高校チャンピオン。筑波大学体育専門学群卒業後、高校教論、アシックスボウルダーマネージャー、ニシ・スポーツ常務取締役を歴任。

HYDE

吉松育美(よしまつ いくみ)

1987年生まれ。佐賀県出身。ミスインターナショナル2012グランプリ/IY Global代表。女優/モデル。2012年に日本人初そして唯一のミスインターナショナル世界一となって以来、活動の場を多方面に広げている。社会貢献活動にも力を入れており、自身が発案した子供の国際教育プログラム「GSDN」の活動も熱心に行なっている。2014 年からは海外に拠点を移し、アメリカ・ロサンゼルスと日本で活動。アメリカでは映像制作、ブランディング・マーケティングを手がけ、日本企業の海外進出に向けてコンサルタント業務も行うなど、ビジネスウーマンとしての一面も持つ。

陸上競技から、
ミス・インターナショナル世界一の道へ

“美の世界”で日本を背負いたい

早野 ■
育美さんのお父さんが、僕の学生時代の陸上のライバルで、大学も一緒なんですよ(※吉松さんの父・幸宏さんは元陸上選手。400mハードルで第64回日本陸上競技選手権大会で優勝経験を持つ)。育美さんが大学に進学して東京へ出てくるときにも、お父さんから「うちの娘をよろしく」と言われました。悪い虫がつかないように見張っておいてくれ、と(笑)。
吉松 ■
それで上京したときに、早野さんにご紹介いただいたランニングクラブに誘ってもらって、走るようになりました。
早野 ■
最初は、高校のときの体操着を着てきたよね(笑)。
吉松 ■
高校名の下に「吉松」って書いてあったやつですね(笑)。
早野 ■
そうそう(笑)。今でこそキラキラしたイメージを持たれることが多いと思うけれど、純朴なところはずっと変わらないよね。でも、当時は毎週ランニングクラブで顔を合わせていたのに、ミス・インターナショナルを目指しているっていうのは育美さんが大学3年生くらいのときに初めて知ったんですよ。
吉松 ■
早野さんに、「就職どうするんだ」って聞かれて「……ミスを目指します」みたいな感じでしたよね。
早野 ■
ちょっと言いにくそうにしていた(笑)。ミスを目指そうと考えたのは、どうしてだったの?
吉松 ■
父の影響ですかね。私、高校でハードルと走り高跳びをやっていたじゃないですか。
早野 ■
佐賀県で1位にもなっていたよね。(吉松さんは佐賀県高校総体女子100mハードルで優勝した経験を持つ)
吉松 ■
県で1位にはなったのですが、日本チャンピオンの父がいる吉松家では、「どんなことでも一番」というプレッシャーが常にどこかにあって……。そんな中でも、父が叶えられなかった「オリンピック」の夢(父・幸宏さんは1980年モスクワ五輪日本代表候補と言われたが、出場は叶わなかった)を、いつか自分が現実にしたいと思っていました。それで、陸上では日本一にはなれなかったけれど、美の世界では日本を背負えるんじゃないかと思ったんです。

早野忠昭 × 吉松育美

早野 ■
そこで“美の世界”を選んだのは何か理由があったの?
吉松 ■
身長が高かったのと、「いつか世界で活躍したい」と思っていたのが大きかったですね。私の母は小学校の先生で、英語教育にすごく力を入れていて。毎年、夏休みはホストファミリーとしてホームステイに来た留学生を我が家で迎えていました。そんな環境もあって、私もいつか海外で活躍したいと、子どものころからぼんやりと思っていたんです。当時はちょうど、知花くららさんがミス・ユニバースで世界2位に選ばれて話題になっていたのもあって、「こういう(ミスコンの)世界があるんだ」と知って。ミスコンで日本代表になれば海外への扉も開くかもしれない、と。外見は磨けばきっとどうにかなると思っていたので、上京したころから、はっきりと「チャレンジしてみたい」と考えるようになりました。
早野 ■
「ミスを目指している」と聞いてから、あれよあれよという間に日本代表になって、「うそ〜」と思っていたら、世界チャンピオンになって。
吉松 ■
「佐賀の田舎から出てきて、日本一なんて無理だよ」と言われることもありました。それでも、やると決めて努力をした結果、日本一になって、世界一になれたんです。
早野 ■
ミスを目指そうと具体的に考えるようになったのと、ランニングクラブに参加するようになったのは同じ時期ということですよね。走るようになって、何か良い影響はありましたか?
吉松 ■
ありましたね。ひとつの目標に向かって頂点を極めようとするには、自分自身と闘うための精神が必要になってきます。これってすごく体育会系な意見だとは思うんですけど、ある程度追い込むことも大切なんですよね。何かを継続するのって簡単なようで簡単じゃないから、ランニングクラブに入って毎週土曜日に走るのを続けてこられたというのは、私にとってすごく自信になりました。ランニングをやってきたからこそ、「世界一になりたい」という目標をぶらさずに努力を続けて、達成できたのはあると思います。